大判例

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大阪高等裁判所 平成2年(う)549号 判決

主文

原判決のうち、被告人Aに関する部分を破棄する。

本件のうち、右破棄部分を神戸地方裁判所に差し戻す。

理由

第一本件事案及び訴訟の経過など

本件は、香港在住の外国人である被告人A(国籍英国、以下単に被告人という。)、B(国籍中国)及びC(国籍中国)ら三名(以下、「被告人ら三名」という場合がある。)が、Cにおいて以前働いていたことのある兵庫県氷上郡氷上町所在の毛皮製品の製造販売会社社長のD方に強盗に入ることを企て、昭和六四年一月六日香港から来日し、翌七日被告人ら三名がそれぞれ刺身包丁一丁を携帯してD方に侵入し、家人を一人ずつ脅迫して紐で縛りあげるなどして金員を強取しようとした際、家人に騒がれて金員強取の目的を遂げずに逃走したが、その際抵抗したDの父E(当時七二才、以下「被害者」ともいう。)に前頸下部切創、左前腕上部切創、同下部切創、左側胸中央刺創等の傷害を負わせ、同所で同人を左側胸中央刺創に基づく大動脈切損により失血死させた、という強盗致死、銃砲刀剣類所持等取締法違反の事案である。

被告人ら三名は、平成元年一月二八日強盗致死罪、同年二月一〇日銃砲刀剣類所持等取締法違反罪の共同正犯として原裁判所に起訴された。被告人ら三名は共同審理を受け、平成元年四月一七日の原審第二回公判で、検察官は強盗致死の公訴事実について、刺身包丁で被害者の左側胸部を突き刺すなどしたのは被告人である旨釈明し、それを受けて、被告人ら三名並びに各弁護人は次のとおり被告事件について陳述又は主張した。

Bは、被告人らとの各犯行の共謀を否定し、強盗致死の公訴事実に対して単にCらの犯行を手助けしたにすぎないと陳述した。被告人及びCは、ほぼ犯行を認めたものの、Cは、被害者を殺したことはない旨付加し、また、共謀を否定した。B及び被告人の弁護人は、それぞれ各被告人と同旨の主張をし、特にBの弁護人は、強盗致死の公訴事実について強盗幇助を主張した。Cの弁護人は、当日は意見を留保し、第三回公判で、事実をすべて認めると主張した。

ところが、被告人は平成元年六月一二日の原審第五回公判の被告人質問で突然、自分は脅迫されてこれまで真実を述べなかったが、本件は被害者の致命傷になった左側胸中央刺創は、被告人が刺身包丁を持って被害者と対峙しているとき、Cが背後から被告人の肘を押したため、その刺身包丁が被害者の脇腹に刺さってできたものであり、また、左前腕切創のうちの一か所もCがおなじく被告人の背後から被害者に切りつけてできたものである旨供述し、被告人の犯罪行為の一部を争うに至った。

原裁判所は審理の結果、被告人ら三名に対し、いずれの犯行についても有罪としてほぼ公訴事実どおりの事実を認定し、特に強盗致死に関しては被害者に傷害を負わせて死亡させたのは被告人であると認定したうえ、Bに懲役七年(検察官の求刑は懲役一〇年)、Cに懲役一一年(求刑懲役一五年)、被告人に懲役一五年(求刑はCと同じ懲役一五年)の刑を言い渡した。

同判決に対し、Cに関しては当事者双方控訴しなかったので一審の判決がそのまま確定したが、B及び被告人は一審判決を不服として控訴するに至った。控訴したB、被告人の事件は当裁判所で併合審理し、そのうちBの控訴理由は量刑不当のみで、被告人の判決言渡しと同時に控訴棄却の判決をしたものである。

第二控訴趣意に対する判断

本件控訴の趣意は、弁護人明賀英樹、同高見秀一及び同中里栄治連名作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、それに対する答弁は、検察官篠原一幸作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意第一(訴訟手続の法令違反の主張)について

論旨は、原判決は、自白調書である被告人の検察官(平成元年一月一七日付け、同月二六日付け、同月二七日付け添付図面を含めて一七枚綴りの分)及び司法警察員(同月一六日付け、同月二三日付け、同月二四日付け一九枚綴りの分)に対する各供述調書(以下、合わせて「本件自白調書」という場合がある。)を証拠として各犯行を認定しているが、本件自白調書は、(一)憲法三四条、刑事訴訟法三〇条一項で保障されている被告人の弁護人選任権を侵害した取調べによって得られたものであり、(二)また、警察官の偽計、利益誘導及び脅迫等によってもたらされた任意性を欠くものであり、(三)原審弁護人が証拠とすることに同意しているものの、原審は刑事訴訟法三二六条一項の相当性の審査をしていないか、又は誤って相当性を認めたものであって、いずれにしても証拠能力のないものであり、本件自白調書を証拠として採用した原審の手続には判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

しかし、原判示第二犯行の状況欄記載の犯罪事実一、二の被告人の各犯行(以下「原判示一」、「原判示二」の犯行などという。)は、本件自白調書の採否にかかわらず、これと同旨の原判決挙示の被告人の共犯者で原審共同被告人のB及びCの原審公判における各供述、同人らの検察官及び司法警察員に対する各供述調書、被告人の原審公判における供述、その他の証拠によって、それが信用できるかぎり、認定は可能であり、したがって、本件自白調書の証拠能力の有無が直ちに原判決に影響を及ぼすものではないと認められる。もっとも、以下に検討する本件自白調書の証拠能力を左右する事実の存否は、その他の関係証拠の信用性ひいてはその証明力に少なからず影響を及ぼすので、本論旨についても正面から取り上げて考察する。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果並びに当審における各弁論をも併せ検討する。

1  弁護人選任権侵害の主張について

所論は、被告人が逮捕された二日後位に警察官に対し弁護人の選任を申し出たところ、警察官は、弁護士が来てくれないとか、弁護士は座って聞くだけで被告人と話はできないとか、法律の規定に反する虚偽の説明をして被告人の弁護人選任権を妨害し、さらに、被告人が捜査段階で、妻や兄弟の氏名、住所、電話番号を紙に書いて、警察官に対しこれら家族に通知して弁護人を選任してもらうようにしてくれと要求したところ、警察官はこれも無視したものであって、弁護人選任権を侵害した取調べによって得られた本件自白調書には証拠能力がない旨主張している。

しかし、関係証拠によると、被告人は、平成元年一月八日逮捕され、司法警察員及び検察官に弁解の機会を与えられた際、並びにその後同月一〇日の裁判所での裁判官による勾留質問の際に、いずれも弁護人を選任できる旨告げられている事実が認められる。もっとも、被告人は平成元年一月八日午後八時五分ころ兵庫県柏原警察署で逮捕状を執行されたが、当日は同署において被告人の理解できる広東語の通訳人が確保できず、やむなく同署の警察官は通訳人Fに電話での通訳を依頼し、電話口に出た同通訳人を介して被告人に対し逮捕事実の告知と弁護人選任権について説明させ、その翌日改めて正式に弁解録取をするため、午前九時五五分ころ、通訳人Fに柏原警察署に来てもらい同人を介して再度被告人に対し逮捕事実を読み聞かせた上、弁護人選任権を告知したものである。こうした警察での逮捕後の弁解録取の手続きは、そのような事情のもとでは、やむを得ない措置として是認できる。また、被告人は英国籍を有する外国人であるところ、警察官は、逮捕直後の同月九日、「日本国とグレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国との間の領事条約」(以下「日英領事条約」という。)に基づいて大阪市内にある英国総領事官に被告人を抑留した旨を通報し、同領事館の係官が同月一七日神戸地方検察庁で被告人と面会したほか、同日には被告人が逮捕された事実を知って香港から駆けつけた被告人の兄弟も同所で被告人と面会している事実も認められる。さらに、被告人は捜査段階で弁護人を選任していないところ、起訴後原審裁判所の弁護人選任に関する照会に対し、平成元年一月三一日付け及び同年三月七日付けで(もっとも、前者は強盗致死の事実の起訴によるものであり、後者は銃砲刀剣類所持等取締法違反事実の追起訴によるものである。)、いずれも「貧困のため弁護人選任の資力がないので国選弁護人の選任を請求する。」旨回答している。そうすると、仮に所論のような警察官の弁護人選任に関する不当な説明等があったとしても、被告人には弁護人選任権は十分告げられ、また、その機会も与えられながら、捜査段階では自らの判断であえて弁護人を選任しなかったと認められ(日本の刑事裁判手続では捜査段階における国選弁護の制度はない。)、被告人において弁護人を選任できなかったことが、警察官の妨害によるものでないことは明らかである。

2  任意性を欠くとの主張について

所論は、要するに、被告人は日本語に通じない外国人で逮捕後孤独な状態にあったところ、警察官は、殊更被告人の兄弟の声を録音したテープを聞かせて精神的に不安定な状態にし、「日本には死刑がないから心配しなくてよい、早く認めれば早く家族に会える。」旨の虚偽の説明又は利益誘導をし、被告人に対し模造ナイフを突きつけて脅迫し、共犯者で被告人が恐れていたCの手紙を使って自白を強要したものであって、その結果得られた本件自白調書には任意性がない、と主張している。

しかし、記録によると原審段階では、被告人は第二回公判で公訴事実をすべて認め、本件自白調書に関しても原審弁護人において同期日にすべて同意し、被告人もこの点について何ら異議を述べておらず、その後第四回公判でそれらが同意書証として取り調べられている事実が認められる。また、被告人は原審公判では、司法警察員及び検察官の取調べにつき、任意性に問題があるような主張又は供述していない。更に、警察段階で被告人の取調べに当たった田畑雅邦警察官(以下「田畑警察官」という。)は被告人の取調べにおいて所論のような不当な取調べはなかったと証言しており(当審第七、八回公判)、同証言は信用できる。

そして、田畑警察官の証言並びにその他の関係証拠により検討すると、以下のとおりである。

(一) まず所論は、被告人から自白を得るために、警察官が被告人に対しその兄弟の声が入った録音テープを聞かせた旨主張している。確かに警察官が平成二年一月一六日勾留中の被告人に対し、その兄弟と称する者二名の声を録音テープに取って聞かせた事実はある。しかし、当初それらの者が警察官に対し被告人との面会を求めてきたのに対し、当時警察では、被告人が香港の黒社会(暴力団)組織の人物でないかとの疑いを抱き、その組織等から被告人に対して圧力が加えられたり、又は本件事件の罪証隠滅工作がなされるのを恐れていたため、その兄弟と称する人物の素性がはっきりせず、被告人との面会を拒絶したところ、同人らから、それならせめて自分達の声を聞かしてくれという申出があったため、本件措置をとったものである。しかも、前示のようにそれら被告人の兄弟と称する人物は翌日神戸地方検察庁で被告人と面会をしている事実が認められ、また、被告人に聞かした録音テープの中に被告人に対し自白を促すような部分はなかったと認められる。したがって、本件は、所論のように自白を得るため警察官が殊更仕組んだものとはいえない。

(二) 次に所論は、警察官が被告人に対し模造ナイフを突きつけて脅迫した旨主張している。柏原警察署の取調室において、取調担当官の田畑警察官が紙で作った模造ナイフを使用して本件強盗致死事件につき、被告人に対し犯行状況を再現させた事実は認められる。しかし、これは、殺傷事犯で複雑な事件について具体的な供述を得るために、警察で一般的に行う取調べ方法であって、田畑警察官が被告人に対し、その模造ナイフで脅迫して自白を強要したような事実はないと認められる。

(三) また所論は、警察官がCの手紙を使って被告人に圧力をかけ自白を強要した旨主張している。

ところで、被告人は当初取調べに当たっていた田畑警察官に対し、本件犯行の動機について、「香港でGという男から、Cと一緒に日本に行って被害者を痛めつけてくれたら五万香港ドルをやるといわれて、Bをも誘って日本に来て本件犯行に及んだ。」旨供述していた。他方、Cは早くから取調官に対し、「被告人の話は嘘である。Gの話は、犯行後逃走途中の倉庫の中で被告人と『警察に捕まったら、日本に強盗に来たことは隠してGに頼まれて来たことにしよう』と相談したが、もともとこの事件は、香港で被告人と強盗をすることを計画して、Bも誘って来日して犯したものである。」旨供述していた。田畑警察官はCの供述が正しいと考えて、被告人を説得した。しかし、被告人は供述を変えようとせずその取調べが進展しなかったため、Cの取調官に頼んで、Cから被告人に対しこの点に関して真実を述べるよう説得してもらった。Cは、これを引き受け、平成二年一月二〇日ころ被告人あてに手紙を書き、これを田畑警察官が被告人に示した。その結果、被告人もようやく同月二四日に至り、「G」の話は虚偽であることを認めるに至った。Cから被告人にあてた手紙の内容は、当審で取調べた司法警察員作成の平成二年一二月六日付け捜査復命書に記載のとおりである(同捜査復命書には手紙そのものも添付されている。)。その文面では、問題の倉庫の中で相談したことについて、自分は警察官に既に真実を話したので、被告人も本当の話をしてくれ、という内容になっている。そして、後に検討するように、Cのこの手紙は被告人に対して別の面で圧力をかける結果になったものであり、田畑警察官に慎重さに欠ける点があったことは否定できない。しかし、この時点で田畑警察官において、Cの本件手紙を利用して被告人に不当に自白を強要しようとした意図は認められない。したがって、警察官の右のような行為も本件自白調書の証拠能力を失わせるものではないといえる。

以上の次第で、所論にもかかわらず本件自白調書の任意性を否定するような事情はない。

3  相当性の判断に関する主張について

所論は、本件自白調書は原審で同意書面として取調べられたものであるが、明らかに不自然な自白内容であったり、不自然な供述の変遷が認められ、原審としても当然任意性に疑問を持ってしかるべきであるのに、これを証拠に採用した原審は相当性の審査を全くしなかったか、その判断を誤ったものである、と主張している。しかし、本件自白調書は任意性が認められることは前検討のとおりであり、その信用性は別論として、原審のその採用手続き自体に違法は認められない。

その他所論の主張するところをつぶさに検討しても、本件自白調書を採用した原審の措置に、訴訟手続の法令違反は認められない。論旨は理由がない。

二  控訴趣意第二(事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、原判決は原判示一の強盗致死の事実について、被告人が刺身包丁(以下、場合によって単に包丁ということもある。)でEに切りつけたり、その左側胸中央部を突き刺すなどし、被告人の暴行によりEに前頸下部切創、左前腕上部切創、同下部切創、左側胸中央刺創の傷害を負わせ、同人を左側胸中央刺創に基づく大動脈切損により失血死するに至らしめたと認定しているが、右傷害のうち致命傷となった左側胸中央刺創は、被告人が刺身包丁を持ってEと対峙しているとき、Cが背後から被告人の肘を押したため、刺身包丁がEの脇腹に突き刺さってできたものであり、また、左前腕切創のうちの一か所もCが同じく被告人の背後からEに切りつけてできたものであって、原判決にはこの点で判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果並びに当審各弁論をも併せ検討する。

1  まず、この点について、原判決の認定理由をみると、概略次のとおりである。

被告人は、捜査段階では、自らが手に持った刺身包丁で被害者に切りつけたり、その左脇腹付近をめがけて一回突き刺したと供述していたが、公判廷において、「自分が被害者に切りつけた直後、Cがその右手に持った刺身包丁で被害者に切りつけ、更に自分の右肘を押したので、右手に持っていた刺身包丁が被害者の脇腹に刺さった。このことを捜査の当時検察官に言わなかったのは、現場から逃走する途中、Cに『言うな。』と脅かされたからである。」との趣旨の供述をするに至っている。

そこで、両者の信用性を検討してみるに、

(一) B及びCは、捜査段階から公判を通じ、いずれも一貫して、被害者と刺身包丁を持って対峙していたのは被告人だけで、B及びCは現場で被害者の妻H子の口を手で塞いでいたとの供述をしており、その供述は互いにほぼ一致し、不自然な点はない。

(二) 特に、Bは、捜査及び公判において、H子の寝室に入った後逃走するまでの間、Cが手で同女の口を塞ぎ、更にその手の上を自己の右手で押さえていたと明言しているもので、Bは公判廷でCに騙されて日本に来たと述べるなど同人を恨んでいることが窺われ、そのCを庇って殊更虚偽の供述をする必要性は見出し難い。

(三) 被告人の公判廷における前記供述は、B及びCの供述に反するばかりでなく、Cがその手に刺身包丁を持ち、自ら切りつけていながら、その直後わざわざ被告人の右肘を押して被害者を刺したというもので、供述内容自体不自然である。

したがって、本件に関しては、被告人の捜査段階の供述が信用でき、公判廷の供述は信用し難い、というものである。

2  所論は原判決の判断に対し詳細に反論しているが、その中には示唆に富むものが含まれており、後に引用する部分も少なくないので、その内容を要約摘示してみる。

(一) 被告人は、捜査段階では真実を話すことができず、原審公判のしかも第五回公判で初めて事実を述べたのは、現場からCと一緒に逃げる途中、一時潜んでいたワゴン車の中で、同人から脅迫され、警察に真実を話したら香港にいる自分の妻子の生命に危険が及ぶと感じたからである。Cは香港の黒社会(暴力団)に所属している。被告人が、本件犯行の動機について、Cの指示に従って、一月八日逮捕後同月二四日まで忠実にGから頼まれたと言い続けていることからもこの恐怖の程度が分かる。被告人はCから警察で手紙を受け取って、初めてGのことは嘘であったと認めたが、この点からもCの指図の重さが窺える。そして、この手紙は、被告人にとって、Gのこと以外にCの取った行動を警察に言うなということの無言の一層の圧力になっている。しかし、被告人は、公判でこのまま黙っていたら自分が本当に主犯になってしまうので、勇気を出して真実を述べる気になったが、その前に平成元年三月から六月にかけて香港の妻に何通も手紙を書き、安全な場所に引っ越すことを求めている。Cから脅かされていなければ、被告人が身柄を拘束されているため金銭的に困っていることが明らかな妻に対し、この時期に転居など勧めはしないはずである。

(二) その証左として、被告人の捜査段階の自白調書は不自然に変遷しており、内容的にも疑問な点が多く、捜査官の誘導の跡も窺える。

被告人は逮捕された直後は同人がEを死亡させた事実を否認していた(平成元年一月九日付け司法警察員に対する供述調書、以下、司法警察員に対する供述調書を員面調書、検察官に対する供述調書を検面調書と略記することがある。また、調書の特定に関して平成元年の記載は省略する。)。それが一月一六日付け員面調書では、喉元から胸元あたりを切りつけ私が殺したことは間違いないとなり、一月一七日付け検面調書では、胸元か喉元付近を押すようにして切ったとなっている。そして、少し間を置いて一月二三日付け員面調書では、「手を振り切ろうと両手に持っていた包丁をEさんの喉元から胸元あたりに押しつけるように切りつけました。どちらの手の包丁が当たったか私自身神経も高ぶっていましたのでよく思い出せません。その後Eさんをどのようにして切りつけたかなどよく思い出せないのです。とにかく私が持っていた包丁で切りつけそれが原因でEさんが死んだことはみとめます。」と、方法について全く明らかでないが、死亡についての結論だけを認める調書が作成されている。その後一月二四日付け員面調書(当審注、一九枚綴りの分)では、「包丁でEさんを切りつけそれが原因で亡くなり私が殺したことは間違いありません。」としつつも、「この状況を他の者が話しておれば認めます。」「刃物をどのように使用したのかこれまで何回も尋ねられておりますが、この点のことはよく思い出せません。」となっている。自己の意思で実行行為を行っているなら、極めて細部が思い出せないのはともかくとして、人を傷つけた方法を思い出せないというのはあり得ない。そして、一月二六日付け検面調書が作成されているが、この調書の三五項では、次のような矛盾するような趣旨不明の供述が記載されている。

「問 君の話だと君はおじいさんののどもとか胸付近を切りつけただけのようだがおじいさんの左腕に大きな切り傷があり左わき腹にも深い刺し傷があるが、これらはいつ誰がつけたのか。

答 分かりません。」

「問 では、左わき腹の刺し傷や左腕の傷はどのようにしてつけたのか。

答 どのようにしてつけたのか覚えておりません。」

「問 もう一度聞くが、おじいさんののどもと付近を切りつけた以外にほかにも包丁で攻撃を加えていないか。

答 ほかに包丁でおじいさんを突き刺したことがあります。

問 突き刺した場所はどこか。

答 右手に持った包丁で、おじいさんの左わき腹付近を刺しました。」

というものである。それが一月二七日付け検面調書(当審注、一七枚綴りの分)では、ほぼ原判決認定の趣旨の供述内容となり、それまで方法を言わなかった理由として、「なぜこれまでそのようなことをお話ししていなかったのかと言えば、私自身そのような大変なことをしてしまいこわくて言えなかったのです。自分の口から言う勇気がありませんでした。」などとなっている。この理由は、それまで死亡させたことを否認していてそれを変更した場合は一つの理由になるかもしれないが、前記一月一六日以降死亡させたことを認める趣旨の調書が作成されており、殺害の方法が言えない理由には全くならない。

(三) Cの捜査、公判の各供述は、自己の責任を回避しようとする態度が顕著である。

Bについては、Cと幼なじみであり同人と中国の福建省の小学校の先輩後輩の関係にあり、香港でも親しく付き合っていたものである。BがCを庇うことも十分考えられる。原判決は、BがCに騙されて日本に来たと述べて恨んでいるのに、殊更同人を庇って虚偽の供述をするはずがないと判示している。しかし、BにおいてCらが日本に強盗をする目的で行くことを認識しないで来日したと考えるには多くの疑問があり、Bは実際は自己の責任を軽くするために虚偽の供述をしているものである。

したがって、C、Bの捜査、公判の各供述は直ちに信用できない。

(四) また、司法警察員作成の解剖立会報告書によると、「致命傷となった創傷。左側胸中央刺創は、腋下一〇センチの高さに前やや上に向かいほぼ水平線に対し三〇度の角度で上に向かって長さ約三センチの刺創孔がある。刺線は正鋭、創角は下端が鋭利、上端はやや鈍で、前端から〇・二センチの位置で長さ〇・二センチの切込様(Y字型)がある。凶器は、第五及び第六肋骨を損傷し左肺下葉を貫通し、胸部大動脈左側壁を切損している。創管の深さは、約一二~一三センチメートル。」というものである。したがって、被害者は犯人から包丁の刃を下向きにした状態で斜めやや上に向かって相当強い力で刺されて左側胸中央刺創の致命傷を負った事実が認められる。被告人の原審第九回公判供述によると、被告人は当初刺身包丁を「ハ」の字にして胸のあたりに構えているのであるから、刃先を下にして手のひらを上から下に向けて包丁を握っていたところ、両手首をつかまれたので右手を振り払い被害者がもう一度左手を出したので上から下へ切りつけ、その時の包丁の位置は右の横腹くらいの位置になった、というものである。この位置でも刃先は下であり手のひらを上から下に向けて包丁を握っていたと思われる。その位置から力強く斜めやや上に向けて突き出すことは後ろから肘を押されるなどの外部的力が働かない限り極めて不自然な動作である。包丁を持つ者がその左手をつかんでいる相手の右手を離させようとするとっさの自然な動きとしては、相手の右手に対し再度上にあげて切りつけるか横に払おうとする動きが考えられ、上から下へ握った包丁で左脇腹を斜め上に突くというのは不自然な動きである。

(五) 原判決は、被告人の公判廷の供述では、Cが包丁を持ち自ら切りつけていながら、その直後わざわざ被告人の右肘を押して被害者を刺したということになり、その供述内容自体不自然であって信用し難い、と判示している。しかし、Cが被害者と面と向かっているならともかくも、Cは被告人の右後ろに位置するので、被害者を直接刺したり深く傷つけたりできない場所的関係にある。したがって、Cが被告人の肩ごしに被害者に切りつけ、その直後に被告人の右肘を押すこともそれほど不自然ではない。

以上のとおり主張している。

3  そこで検討する。

(一) 争点部分はさておき、本件各犯行に至る経緯及び原判示一の強盗致死の犯行の状況を少し詳しく見てみると、関係証拠によると以下のとおりである。

(1) 被告人とC、CとBとはそれぞれ親しく交際していた。被告人とCは失業して金銭に窮していたことから、昭和六三年一二月ころ、香港で、以前Cが日本で毛皮職人として働いたことのある社長の家へ押し入り金員を強奪しようと企てた。しかし、両名とも渡航費用がなく自動車の運転もできなかったことからBも仲間に加え、昭和六四年一月六日来日し、当日は大阪市内に一泊した。被告人ら三名は、翌日大阪市内でレンタカーを借りて、Bが運転する自動車で、強盗に押し入るためD方に向かった。途中、強盗の際、家人に顔を見られないようにするため、目出し帽三個、脅迫の道具として刺身包丁三丁を購入した。

(2) そして、同日午後六時三〇分ころ、それぞれ目出し帽を被り、刺身包丁を一丁ずつ持って鍵の掛かっていなかった玄関からCを先頭にD方に侵入した。屋内には予想に反して社長のDがいたので、家人が寝静まるのを空部屋になっている表二階で待つことにし、同所で約四時間横になるなどして過ごした。その間、Cは、荷作り用ガムテープやコード線を見つけ、これらを使って家人を縛ったりその口を塞いだりしようと考え、ジャンパーのポケットに入れた。

(3) 被告人ら三名は、午後一〇時四五分ころ、家の中が寝静まった様子であったことから、いよいよ寝ている家人を縛りあげ脅して金員を奪おうと考えた。そこで、Cを先頭に、前記刺身包丁をそれぞれ一丁ずつ持って階下へ降り、Cが電話線を切断し、一階奥のDの両親の寝室入口へ行って襖を開け中の様子を見た。その後Bは刺身包丁を被告人に渡し、被告人が刺身包丁二丁、Cが一丁を持って、被告人ら三名が次々に寝室に入った。寝室に入ると、Dの母H子がベッドに寝ていたので、先ず、Bが同女の口に前記ガムテープを貼ろうとしたが、同女を目を覚まし大声を出したため、Cが慌てて同女の口を手で押さえた。そのうち、隣室で寝ていた夫のEが同女の声を聞きつけて寝室へ入って来た。そこで、一番近くにいた被告人がEを脅して騒がせないようにするため、左右の手に一丁ずつ持った刺身包丁を胸のあたりで「ハ」の字に構えて同人に近づき、首のあたりに刃を押しつけたりしながら寝室の北西の隅まで追いつめて行った。そこで、Eから両手首をつかまれたので、右手を振り払い再度Eが被告人の右手をつかもうとしたことからEの左手を切りつけたりした。そのうち、騒ぎを聞きつけた他の家人が近付いてくる気配を察知し、被告人らは金員強取の目的を遂げないままその場から逃走したが、その際、Eに前頸下部切創、左前腕上部切創、同下部切創、左側胸中央刺創等の傷害を負わせ、そのころ、同所において、同人を左側胸中央刺創に基づく大動脈切損により失血死させるに至った。

以上の事実が認められる。

(二) 原判決は、争点に関連して、被害者(E)に向かって行ったのは被告人のみで、被害者に傷害を負わせたのも被告人一人であり、したがって、被害者を死亡させたのも被告人であると認定している。原判決がそのように認定した理由は前記第二の二の1で要約しているとおりである。

そして、以下の諸点も加えると、同認定には一応合理性も認められる。

(1) 前認定のとおり、被害者がH子の声を聞きつけて寝室に近づいて来た時点で、Eに一番近い場所にいたのは被告人であり、被告人が刺身包丁を持って被害者に襲いかかって行き、その時点で、CはH子に声を出されないようにその口を押さえていたものである。そして、関係証拠によると、家人に気付かれて寝室から被告人ら三名が逃げ出した順序は、C、B、被告人の順序であったと認められる。また、H子の一月一三日付け検面調書及び同月一〇日付け員面調書には「犯人が私から離れて行くとき、そのうちの一人が私の身体をまたぐような格好で、ベッドから降りて逃げていく後ろ姿を見ました。」という趣旨の記載があり、被告人らの逃げ出す時点の位置関係からみて、H子をまたいでベッドから降りて逃げて行った人物はCと推認できる。そうすると、被告人が公判廷で供述するように、Cにおいて被告人の背後から被害者の腕に切りつけたり、刺身包丁を持った被告人の右肘を押して被害者の右脇腹を刺すことなどは位置関係からみて困難であり、時間的にも不可能であったようにも思われる。この点は後に更に検討する。

(2) 関係証拠、特に司法警察員各作成の平成元年一月二一日付け実況見分調書(原審検察官請求証拠番号五一、以下検察官請求証拠については原審検一、当審検一、弁護人請求証拠については原審弁一、当審弁一などとして特定する。)、同日付け捜査復命書(原審検五七)、柏原警察署長作成の鑑定嘱託書謄本(原審検五八)及び技術吏員冨永修作成の鑑定書(原審検五九)によると、次の事実が認められる。

Cは犯行現場から逃走途中、被告人から犯行に使用した刺身包丁を預かり、同人の持っていた刺身包丁と合わせて合計三丁を農家の畑の土の中に埋めて隠した。そして、Cは逮捕された後の一月一四日捜査官を同畑に案内し、捜査官は同所から犯行に使用された刺身包丁二丁(原審平成元年押第六七号の五、六、当審平成二年押第一六一号の五、六)を発見したが、残りの一丁は発見できなかった。発見された刺身包丁二丁とその周囲から採取した土砂などについて血痕付着の有無及びその血液型などについて鑑定依頼した結果、刺身包丁、土砂いずれからも血痕反応は検出されないとの鑑定結果が得られた。

以上の事実が認められる。

ところで、本件犯行に使用された刺身包丁は全部で三丁で、被告人の公判廷の弁解によると、少なくとも、犯行現場で被告人が持っていた刺身包丁のうちの一丁と同じくCが持っていた刺身包丁一丁で共に被害者に傷害を負わせていることになり、未だ発見されていない刺身包丁がそのうちの一丁である可能性は否定できないが、少なくとも畑で見つかった刺身包丁のうちの一丁は被害者を傷つけたものと認められ、当然血痕が付着しているものと思われる。その反応が出ないということは、既に見つかっている刺身包丁のいずれも被害者を傷つけた凶器ではないと考えられ、ひいては被告人の弁解が虚偽である証左にもなるものである。

もっとも、前記刺身包丁の血痕に関する鑑定結果が正確なものかどうか、また、被害者に傷害を負わせても血痕が残らない場合もありうるのか、更には犯行後Cがこれら刺身包丁に付着していた血痕を洗い流すなどして土中に埋めた可能性も否定できない。犯行に使用された刺身包丁の一本だけが発見できないというのも不自然である。こうした点については、なお解明の余地が残されているといえる。

(三) しかし他方、所論は前記のとおり原判決の前記認定は誤りであるとし、その根拠を挙げているので、それらを検討してみる。

(1) 本件犯行を認める被告人の捜査段階及び原審公判初期の供述の信用性について

① 本件に関する被告人の捜査官に対する各供述調書の内容は、弁護人が控訴趣意書に摘示しているとおりであって、前記所論の要約部分である第二の二の2の(二)に記載している。

その供述内容によると、所論が指摘しているとおり、逮捕当初は被害者を死亡させた事実を否認し、その後自白したが、その暴行の態様も相当に変遷し、内容自体も被害者の傷口などの客観的事実からみて不自然と感じられる部分や、供述を変更した理由の説明に納得し難い部分がある。

そして、被告人は起訴後原審第二回公判(平成元年四月一七日)の冒頭手続で、Bの弁護人が強盗致死の公訴事実に関して、刺身包丁で被害者の左側胸部を突き刺すなどしたのは被告人ら三名のうち誰であるか釈明を求めたのに対し、検察官が被告人である旨釈明したのを受けて、その罪状認否では公訴事実を全面的に認めている。被告人が、犯行の一部を否認し、所論のような弁解を始めたのは、原審第五回公判(平成元年六月一二日)における被告人質問からである。

被告人が争点になっている暴行、傷害に関して、何故、捜査段階から原・当審公判に至るまで、このようにいろいろな供述をし、中には不自然と思われる自白までしていたのか必ずしも明らかではない。原判決は、本件で被告人の捜査段階の供述は信用でき、公判廷の供述は信用できないと判示しているものの、必ずしも納得できるものではないといえる。

② 所論は、被告人が本件に関して前示のような虚偽の自白をしたのは、香港の黒社会に属しているCから犯行後逃走途中ワゴン車の中で脅迫されたためであると主張している。

これに関し、所論が同事実を裏付けるものであると主張している当審証拠調べにかかる被告人の香港在住の妻又は兄にあてた手紙を検討してみる。その手紙を翻訳したものが当審検一三の兵庫県警察本部警備部外事課長作成の「中国文手紙の翻訳について」と題する書面並びにその翻訳について誤りがあるとして弁護人から別個に証拠請求されたのが当審弁二四ないし二八の訳文であり、後者にはいずれもその手紙の原本の写しが添付されている。

これらの手紙(いずれも航空郵便で、封書に兵庫県北郵便局の消印が見られる。手紙自体の中に日付が記載されており、その日に被告人が書いたものと推認されるが、拘置所から出されているので検閲を経ていると考えられ、封書の消印の日付はその数日後になっている。)によると、被告人が平成元年三月から六月にかけて何度も香港の妻に対して転居を勧めている事実が窺える。また、同年三月八日付けの被告人からその兄弟のIにあてた手紙には、「本当はある人が背後より私の手を押したのです。」との記載がある。もっとも、この点は当審弁二七の訳文に従ったものであるが、同箇所について、前記外事課長作成の書面では、「ある人が、後ろから私の手を引っ張ったのです。」となっている。手紙の原文では「是真的有人従背后我的手的」となっているところからみて、右外事課長作成の書面の訳は明らかに誤りである。意図的とは思われないにしても、事柄が事件の核心に触れるものだけに、誤訳の影響を看過することはできない。また、同年四月一八日付けの被告人から妻にあてた手紙には、「今回法廷へ行き拘置所へ帰る時、亜国(当審注、Cの意と認められる。)は凶悪な視線で私を見、彼のことを言うのを許さないと十分に警告しているようであり、私がきっと話すであろう様子を知っているかのようでした。まるで私を飲み込むかのようでした。私はずっと彼に取り合わず、心の中で観音経を唱えていました。」旨の記載部分がある。

確かにこれらの手紙は所論を裏付けているようである。

もっとも、被告人が本件犯行を否定し始めた段階で、果たして香港の妻子が現実に転居し、身の安全を確保したか否かは明らかになっていない。また、現立証の程度では、被告人が家族に対する弁解として、かような手紙を書いた可能性も完全に否定し去ることはできない。

③ また、所論は、捜査段階で警察官から見せられたCの手紙も、被告人に対する圧力になっていると主張している。

問題の手紙の内容については既に第二の一の2の(三)で明らかにしたとおりである。被告人は、当審第二回及び第五回公判で、犯行後逃げている途中、Cと、倉庫の中やマイクロバスの中で話をし、倉庫の中では、警察に逮捕されたら香港のGからの指示で犯行に及んだというように指示され、マイクロバスの中でも同様の指示をされたほか、更におじいさんのこととBのことを言うな、もし喋ったら妻子に危険が及ぶなどと言って脅迫され、自分はCの手紙を見て非常に悩み、倉庫で相談した分についてだけ本当のことを喋るようにと言っていると解釈した旨供述している。そのうち、「おじいさんのこと」という意味は、Cが被害者に切りつけたり、包丁を持っている被告人の肘を後ろから押してその包丁を被害者の胸に突き刺したことの意であり、さらに、「Bのこと」という意味は、Bも初めから強盗する目的で来日していることの意と解される。

被告人が犯行の動機について供述を変更している経過は前記のとおりである。そのことについてCが被告人あてに真実を述べるように要請した手紙を書いたのは、一月二〇日ころであって、被告人が捜査官からその手紙を見せられたのは一月二一日ころであると認められるが、被告人がGの話は嘘であると認めたのは一月二四日の員面調書が最初である。この間、被告人がその手紙の真意を推し量りかねて悩んでいたと弁解している事実もあながち否定できないものがある。そして、その手紙の文章を子細に検討してみると、確かに倉庫の中で相談したGのことについてだけ、真実を述べるように指示しているものとみることもできる。被告人の捜査段階のその後の供述経過もその事実を裏付けている。

したがって、被告人の捜査段階及び原審公判の初期の供述はCから脅迫された結果、虚偽の自白をしていたもので信用できないとする所論は、無碍に排斥できない。

(2) 共犯者の捜査、公判の各供述の信用性について

① 記録を検討してみると、Bは、逮捕直後の一月八日付け員面調書において、被告人は被害者の胸ぐらを左手で持って、右手に持っていたナイフを被害者の首に突きつけて脅していましたが、被害者が急に倒れるように座りこんだ旨供述している。

また、一月二〇日付け員面調書では、被告人は、両手でナイフを持って、被害者の首に左右からナイフを突きつけるようにしてベッドの被告人が元いた場所付近まで引っ張って来たところ、被害者はその時大きな声で叫んでいた、被害者は最初座るようにして床の上に倒れてから、また、被害者は被告人の左右の腕をつかんで立ち上がってきて、最初と違って低い声を出して座るようにして倒れた、などと供述している。

一月二五日付け検面調書では、被告人は両手に持った包丁を相手の首付近に構え、腕を前に出し、包丁を左右にそれぞれやや水平にして突きつけていた。そして被告人は被害者を最初被告人がいた付近まで引っ張っていき、被告人は被害者の服を手で引っ張っていたようだった、同所でも被告人は被害者の首付近に両手に持った包丁を左右から突きつけるようにしていた。その後被害者は最初座るようにし床の上に倒れ、そして、両手で被告人の両腕をつかんで立ち上がり、低い声を出して再び座るように床に倒れた旨供述している。

これらの供述調書の内容が被告人の捜査段階の供述と相当異なっていることは明らかである。被告人は両手に刺身包丁(ナイフ)を持って被害者と対峙し、被害者に両手首あたりをつかまれてそれを振り払おうとしていたのであって、被告人が被害者の服を引っ張るような場面は被告人の供述調書にはない。

しかも驚くべきことに、Bは当審第五回公判では、被告人と被害者がやりとりをしていたが、具体的には見ませんでした、と供述している。

② 次にBは、一月二〇日付け員面調書及び一月二五日付け検面調書でCがH子の口を手で塞ぎ、その上を自分の右手で押さえていたと供述し、原審第一一回公判でも同様の供述をしている。しかし、Cは捜査段階から原審公判に至るまで一貫して、自分がH子の口を手で塞いでいたことを認めながら、BがH子の口を塞いだとか、自分の手の上をBから押さえられたりなどした点については一切供述していない。そして、Bは当審第五回公判で、原審でCの手を自分の右手で押えていたと述べたのは虚偽であると供述するに至っている。

③ 原判決は、Bについて、Cから「日本でも毛皮を運ぶ仕事をして金を儲けないか。」と言われて、被告人らと一緒に日本に来たところ、日本で初めて被告人らが強盗を計画していることを知り、その時には香港に帰る旅費もなかったので、やむなく本件犯行を手伝うことになった、と認定している。しかし、この事実認定には疑問がある。Bは原審第九回公判で、Cは日本に来て仕事をすれば二ないし三万香港ドルの収入になるのではないかと言っていた、と供述している。関係証拠によると、Bらは香港で往復の飛行機搭乗券を購入して日本に来ている。それによると、同人らの日本での滞在予定期間はわずか一週間程度であることが分かる。その間に毛皮運搬の仕事だけで、二、三万香港ドルの報酬が得られるとは、Bが日本の経済事情を知らないことを考慮に入れても、非常識である。

また、被告人は、原審第五回公判において、来日前の一二月二九日ころ香港でBと互いに日本に行く度胸があるかといった話をし、その時、Bが「お前大胆だなあ。」と言っていたので、同人は日本に行って強盗をすることは予め分かっていたと思う旨供述している。被告人の右供述には迫真性がある。もっとも、Bは、その話は被害者方へ入る前被告人が車の近くで服を着替えるのを見て言った言葉である、と弁解している(原審第九回公判)。しかし、関係証拠によると、被告人が犯行前、服を着替えたのは、被害者方に入る直前ではなく、D方の下見をして、近くのDの会社の工場に、社長のDが未だ帰宅しないでいるかどうか確かめに行ったときである。その際自動車は工場近くのアパートの前の空き地に止めており、被告人は同所で単に上衣を変えたにすぎず、特に怪しまれるような格好になったわけでもなく、同所で服を着替えたのが何故大胆であるのか理解できず、Bの前記弁解は直ちに採用できない。

また、当審第六回公判のBの供述で初めて明らかになった事実であるが、被告人らは昭和六四年一月六日来日し、犯行は翌一月七日に発生しているところ、B、C及び被告人の三名は、来日直前の昭和六三年(一九八八年)の一二月中に二、三回一緒に中国本土の深を訪れている。その目的は必ずしも明らかになっていないが、Bの原審公判の供述等によると、同人と被告人との間では今回来日するまで特に親しい付き合いはなかったと認められる。それにもかかわらず、この時期に、三名が揃って二、三回深訪ねたという事実も不自然である。

さらに、Bは原・当審公判でいかにも自分は犯行に消極的であったかのような供述を繰り返しているが、同人は、前認定のとおりD方二階でガムテープやコード線を見つけて、自ら進んでこれを強盗に使う目的でポケットに入れている。

これらの事情を総合すると、Bは来日前から被告人らの計画を知って、同人らと行動を共にしたのではないかとの疑いが生じ、Bの捜査、公判の供述は全面的に信用できないとの所論もそれなりに理由があるといえる。

④ Cの供述は、捜査、公判とも一貫して自分が被害者に手を下したことはないと供述し、被告人の公判における弁解と真っ向から対立している。同人の供述の信用性については後にも検討するが、被告人もBも一致してCは香港で黒社会に属していると供述しており、その点は事実と認められるのに、Cは原審公判であくまでこれを否定している。もともと、被告人らが強盗に入ったD方はCだけが以前働いていた会社の社長宅であり、本件犯行を当初計画したのはCとみるのが自然である上、前認定のとおりCは、本件犯行に際しても、被害者に対する暴行の点を別とすると、かなり主導的に振る舞っていたと認められる。また、犯行後、Cは被告人に対し、前認定のように本件犯行は香港のGから頼まれたことにしようと話を持ちかけており、同人は本件で首謀者的立場にあったと認められる。また、H子の司法巡査に対する供述調書によると、CはDの会社で働いていたときに被害者に可愛がってもらっており、家族と食事をしたり社員旅行にも連れていってもらっているのに、Cの一月二〇日付け員面調書では、一度も家に行ったことがないとか、一月二一日付け員面調書では、Gと一緒に工場の鍵を借りに行ったことは二度ほどあるが、その時はお茶を飲んだだけで、食事に招待されたことは一度もない旨供述している。同人は、捜査段階から公判に至るまで、自己が被害者と顔見知りであったことを隠すのに躍起になっていると思われる。さらに、本件犯行は被告人から誘われたものであると供述したりしており、責任を極力回避しようとしている態度が顕著である。したがって、所論指摘のようにCの供述も直ちに信用できない。

(3) 被告人の自白と被害者の傷口との比較検討

致命傷となった被害者の左側胸中央刺創の状況は前示の司法警察員作成の解剖立会報告書記載のとおりで、当審で取り調べた神戸大学法医学教室医師溝井泰彦作成の正式な鑑定書(解剖結果)も同旨である。同傷は、被告人らの一人が携帯していた刺身包丁の刃を下向きにした状態で斜めやや上に向かって相当強い力で突き刺してできたものと推認される。このように、その傷は刺し傷であって、切りつけてできたものでないことは明らかである。したがって、前示一月二六日以前の被告人の捜査段階の供述は明らかに不自然である。

また、被告人は一月二六日付け検面調書で、初めて、右手に持った包丁で、被害者の脇腹付近を突き刺した事実を自白し、その翌日の検面調書(一七枚綴りの分)でその暴行の態様について詳細に供述している。それによると、被告人は被害者を脅かして黙らせ、計画どおり縛りあげようとしながら、被害者が被告人の左手をつかんでなかなか離そうとしなかったので、その力を弱めようとして被害者の左脇腹付近を一回突き刺したというものである。所論は、包丁を持つ者が自己の手首をつかんでいる相手の手を離させようとするとっさの動きとしては、そのつかんでいる手を切りつけるか横に払おうとする動きが考えられ、上から下に持った包丁で左脇腹を突くというのは不自然である、と主張している。

当時の被告人の態勢から考えて、被害者に対して本件刺創を負わせることが直ちに不可能ないし不自然であるとは思わないが、つかんでいる手を振りほどこうとしてとっさに相手の脇腹を刺すのはその目的との関連で若干疑問は残る。捜査官が被告人に殺害目的があったのではないかと追求したのも理解できる。しかし、関係証拠を検討しても、そのような事実は全く窺えず、そもそも被告人に被害者を殺害する動機を捜すのは困難である。かえって、殺害の動機という点からみると、Cの方が考えられる。Cは、被害者を始めD方家族とは顔見知りであり、顔を見られて一番困るのは同人と認められる。関係証拠によると、Cにおいて犯行決行を家族が寝静まる夜間まで延ばしたり、覆面を購入したりしている事実が認められる。したがって、同人が被害者から顔を見られて口封じのために殺害行為に及んだと考える方が余程理解しやすい。

なお、本件左側胸中央刺創については、前掲医師溝井泰彦作成の鑑定書(司法警察員作成の解剖立会報告書も同旨)によると、その刺創孔に関して、前端から〇・二センチメートルの位置で長さ〇・二センチメートルの切れ込み様のものがあり、したがって、創角はY字形のように見えるとなっている。同鑑定書だけでは、その詳しい状況は分からないが、被告人の弁解では、そのようなY字形の傷口はできないように思われる。この点にも解明の余地があるといえる。

(四) その他、弁護人が当審弁論で主張している論拠の検討

(1) 前検討のとおり、本件では現場の位置関係、Cの一連の行動などからみて、被告人が公判廷で弁解するように、Cが被害者に対し刺身包丁でその左前腕を切りつけ、被告人の背後から刺身包丁を持っている被告人の右肘を押して被害者の脇腹を突き刺すような行為ができたか否か問題であると指摘した。

しかし、司法警察員作成の検証調書並びにその他の関係証拠によると、犯行場所の寝室には二台のベッドが並べて置いてあり、H子は東側のベッドに寝ていたもので、当時その西側のベッドには人は寝ていなかった。被害者が致命傷を受けたのはその部屋の北西の隅と認められる。この場所についてBの捜査・公判の供述は若干異なっているが、被告人の供述は同箇所でほぼ一貫している。Bについてはその犯行状況を現実には目撃していなかった疑いがあり、その供述は信用できず、この点については、被告人の供述が信用できる。Cはその空いているベッドに乗ってH子の口を押さえていたが、前記被害者が致命傷を受けた場所とその空きベッドの西端との間はせいぜい一メートル位の距離で、また同ベッドは高さが五七センチメートルであり、同女を押さえていたCが被害者と対峙していた被告人の右後ろから包丁を振りかざして被害者に切りつけ、そして被告人の右肘を押すということは、その位置関係からも容易で、しかも、ごく短時間でできると認められる。そうすると、被告人の弁解とCの現場での行動が必ずしも矛盾するものではないといえる。

(2) 本件は昭和六四年一月七日の犯行であるところ、記録によると、Cは一月八日年前三時三〇分に緊急逮捕され、次いで同日午前五時にBが緊急逮捕されたが、その逮捕事実はいずれも強盗未遂である。そして同人らに対して同日警察官の取調べがなされ、員面調書が作成されている。そのうち、Bの調書には被告人が老人の胸ぐらを左手で持って、右手に持っていたナイフを首に突き付けて脅かした旨の記載があるだけで、被告人が老人の胸を刺したかのような記載は全くない。これに対し、Cの調書には、既に「騒がれて友人のAが社長の父らしい老人を刺し殺した。」という記載がある。

同じく記録によれば、その後同日午後八時五分に被告人が強盗殺人罪で通常逮捕された。その逮捕状請求書(裁判所受付印は午後七時三〇分)には既に被害者に致命傷を与えたのは被告人であるとの記載がある。

これはCのみの供述で、被害者に致命傷を与えたのは被告人であるとの心証を捜査機関が既に抱いたことを示すものである。また、Cの捜査・公判の供述によれば、同人は、家人の姿を見てベッドの上に置いてあった包丁を持ってベッドの足の方から飛び降りて台所方向へ逃げており、被害者が胸を刺されていたという事実は認識できないはずである。所論は、Cが逮捕された時点で既に被害者が刺し殺されたということを知っているのは不自然である、と主張している。

もっとも、この点について、Cは捜査・公判で、犯行後逃げる途中被告人から「おじいさんを一回刺した。」と聞いた旨供述している(Cの一月二六日付け検面調書添付図面を含めて二五枚綴りの分、同月二七日付け検面調書一三枚綴りの分、同人の原審第七回公判供述等)。しかし、被告人は、捜査、原・当審公判でCにそのような話をしたとは供述していない。いずれにしても、Cの逮捕直後の前記供述が本件捜査の出発点になっていることは明らかである。同人の捜査、公判の供述に必ずしも信用できない部分があるとすると、同人を再尋問して逮捕直後に前記のような供述をした理由を再度調べてみる必要がある。

4  以上によると、被害者の左前腕切創のうちの一か所及び被害者の致命傷となった左側胸中央刺創も、被告人だけの行為によるものであるとの原判決の認定理由は必ずしも当を得たものとはいえず、被告人の弁解及びそれを前提とした所論にもそれなりの根拠があると認められる。原審程度の立証では、共犯者相互の力関係、本件犯行での役割などについて十分解明されたとはいえず、本件犯行に使用された刺身包丁に血痕が付着していないとの鑑定結果の解明、被害者の傷口等についても検討が十分であるとはいえない。それにもかかわらず、原審が被告人の捜査段階の自白並びに共犯者の捜査、公判の供述を信用して、被告人の犯行を認めたことは、早急にすぎ、審理不尽があるとさえいわざるを得ない。したがって、原判決は、原判示一の強盗致死の被害者の死亡の原因などについて証拠の取捨選択を誤り、事実を誤認しているものである。

そして、原判決は、被告人ら三名の間に冒頭記載のような量刑の差をつけており、そのうち特に、被告人とCの間の量刑上の違いは、本件強盗致死の罪で被告人だけが刃物で被害者に対し暴行に及び、それによって被害者が死亡したと認定したことにあると認められ、原判決の前記事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

しかも、原判示一の罪とその余の原判示二の罪を刑法四五条前段の併合罪として前示のような一個の刑を科しているので、原判決は全部について破棄を免れない。論旨は理由がある。

第三原審の通訳その他審理上の問題点について

論旨にはないことであるが、弁護人は当審弁論で原審の通訳に関する問題点を指摘し、その他一審の国選弁護人に関して疑問を投げかけている。重要な問題を含んでいると思われるので若干検討を加えておく。

一  被告人は当審第四回公判で、特にCが原審で供述したことが公判調書に記載されていないことが少なからずあると供述している。原審では判決宣告期日以外には、公判廷における審理状況は録音されていない。弁護人は、その唯一残されていた判決宣告期日の録音テープによっても、通訳人は重要な判示部分についての通訳をしておらず、また、判示と異なる意味に通訳しているとして具体的にその部分を指摘し、右のような誤った翻訳がなされた原因について、①被告人の言語である広東語は方言があり、翻訳するのに容易ではないこと、②通訳人は日本語の理解力及び広東語の語学力不足、③判決文の分かりにくさを指摘し、④そして、本件の最大の問題点として、原審で裁判所が選任した通訳人が捜査段階から一貫して通訳している者と同一人物で、事件について予断を有し、判示部分について勝手に取捨選択したり、誤解して通訳している、と主張している。

さらに、弁護人は、通訳人のFは、平成元年一月一七日、神戸地方検察庁において英国総領事館の係官が被告人に面接した際にも通訳人として立ち会っているが、日英領事条約第二三条二項には、「領事官は、また、立会人なしで自己が選択する言語で、その国民と面談」することができると定められているところ、通訳人があくまで通訳をするためにその場に立会ったというのであれば問題はないが、証拠によれば、本件通訳人は、後日その面談の内容を検察事務官に供述し、その検察事務官がその聴取内容を報告書に作成している。通訳人も捜査機関も、前記条約の趣旨を全く理解していない、と批判している。

原審の通訳人が捜査段階からの通訳人Fであったことは記録上明らかである。ところで、被告人やCは、中国語の中でも広東語を使用するものである。これに対し、Bは広東語も理解できるが、主に北京語を使用している。広東語と北京語の両方に通じた通訳人を確保することは、中国と比較的関係の深い神戸地区においてさえ容易なことではないとみられるのであって、この現実は直視せざるを得ない。捜査段階の通訳人が法廷の通訳人に選任されることは、決して望ましいことではないが、それ自体直ちに不当又は違法であるとまではいえない。しかし、本件ではその通訳の正確性や公平さに疑問が投げかけられているのである。原審で重要な証言又は被告人質問を通訳した内容が録音化されていないため、事後的にその検証ができないというのも問題である。判決宣告状況に関し弁護人の指摘を否定すべきものがなく、これから推して、原審公判における各証言や供述の通訳の正確性に関しても、一抹の危惧を払拭することができない。加えて、当審提出の検察事務官作成の平成元年一月一七日付け報告書によれば、通訳人Fが被告人と領事館の係官との面接の結果を捜査側の検察事務官に供述している事実も認められる。これが直ちに日英領事条約に違反するとはいえないにしても、通訳人Fの姿勢を暗に示すものといえないではない。したがって、原審の選任した通訳人に関しては、弁護人の批判を免れることができない。

二  また、被告人は、当審第三回公判において、原審の国選弁護人が高齢で、面接に来たのが平成元年の三月三日の一回だけ、それも通訳人Fを伴って二、三十分程度であり、被告人の弁解をよく聞いてくれなかったとか、法廷の審理中必ずしも熱心でなかったとの不満を述べている。この点に関し、被告人の平成元年八月七日付けの兄Iあての手紙の中に弁護人の能力に言及している部分があるが、前掲兵庫県警察本部警備部外事課長作成の書面では、原文にある「都比我多還更清楚他的能力」を「彼の能力は明晰です。」と訳しているが、これは明らかに誤訳であって、前後の文章からして「彼の能力がどのくらいあるのかについては私よりわかると思います」と訳すべきものである。そして、関係証拠によると、被告人の弁護人は当時九〇歳を超える高齢で、現に原審判決言渡期日には病気静養のため医師の勧告で出頭できかねるとの欠席届けも出ている。被告人が日本の法律にほとんど通じない外国人である上、事案も強盗致死という重大なもので、微妙な問題が含まれていることからすると、審理も相当の困難性が窺われるのであって、原審の国選弁護人の選任については、更に一段の配慮が必要であったといえる。また、原審の弁護人において、十分な接見を通して被告人の弁解を聴取し、反証の方策を講ずるなど積極的な訴訟活動をしておれば、あるいは、本件と異なった訴訟の展開が見られたのではないかと思われる。

第四結論

本件では、当審で証拠調べを進め前記疑問点を解明することも考えられるが、原審審理上の問題点も考慮すると、この際事件を原裁判所に差し戻して必要な証拠調べをし、その上で事案の本質を解明し、共犯者との刑の均衡等も図って適切な裁判をするのが相当である。

よって、量刑不当の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決中被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条本文により右破棄部分を原裁判所である神戸地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小瀬保郎 裁判官 髙橋通延 正木勝彦)

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